第二次世界大戦後の日本の賠償処理は、1951年に署名されたサンフランシスコ平和条約の賠償金規定(第14条)を基軸として進められました。同条約では、日本の主権回復と経済的自立を優先するため、金銭の直接支払いではなく、日本人の役務や生産物を提供する「役務賠償」が基本原則として採用されました。
日本は平和条約第14条に基づき、フィリピン(約1980億円)やベトナム(約140億円)、インドネシア(約803億円)、ビルマ(現ミャンマー、平和条約に基づく約720億円)などと個別賠償協定を締結。これらに加え、条約締結国以外への準賠償や無償経済協力を合わせた日本の戦争賠償金総額および戦後処理費用は、当時の金額で1兆円規模(現在の貨幣価値換算で数兆円相当)に達しています。
また、1965年の日韓請求権協定による賠償的措置では、日本から韓国へ無償3億ドル・有償2億ドルの経済協力資金が供与され、両国およびその国民の間における請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決された」ことが合意されました。1972年の日中共同声明においては、中国政府が日本に対する戦争賠償請求の放棄を表明しています。日本は直接的な現金賠償を抑えつつ、インフラ建設資材やプラント輸出を通じた経済協力という形でアジア各国の復興に寄与する道を選びました。