蝦夷とは何者か?アイヌとの違いやアテルイの真実、ルーツの定説

蝦夷とは何者か?アイヌとの違いやアテルイの真実、ルーツの定説

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朝廷の圧倒的な軍勢に対し、一歩も引かずに立ち向かった東北蝦夷の指導者が、日高見国(現在の岩手県奥州市付近)の軍事指導者・アテルイ(阿弖流為)です。770年代から810年代まで約40年にわたって続いたこの激闘は「三十八年戦争」と呼ばれます。

延暦8年(789年)の「巣伏(すぶせ)の戦い」において、紀古佐美率いる朝廷軍数万が北上川を渡河して侵攻した際、アテルイとモレ(母礼)が率いる蝦夷軍はわずか1,500人ほどの兵力で迎え撃ちました。蝦夷が得意とする騎射(馬に乗って弓を射る技術)とゲリラ戦法を駆使し、地の利を活かした巧みな誘引策によって朝廷軍を壊滅的敗走に追い込んだこの戦いは、古代日本軍事史屈指の金字塔です。

窮地に陥った朝廷が満を持して派遣したのが、希代の名将・坂上田村麻呂(征夷大将軍)でした。田村麻呂は単なる武力行使にとどまらず、蝦夷側の有力豪族を懐柔する硬軟織り交ぜた戦略を展開。延暦21年(802年)、これ以上の同胞の犠牲を避けるため、アテルイとモレは田村麻呂の軍門に下り投降しました。

田村麻呂はアテルイたちの武勇と人格を深く敬い、彼らの命を救って東北統治に登用するよう京都の朝廷に強く嘆願しました。しかし、蝦夷の強靭さを恐弊した貴族たちは聞き入れず、アテルイとモレは河内国(現在の大阪府枚方市)において無念の処刑を遂げます。武将同士の固い絆と国家権力の非情さを物語るこの結末は、今なお人々の胸を打つ歴史の真実です。

山本 拓海
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山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。