満洲国が「傀儡政権」と呼ばれる所以は、徹底的に作り込まれた裏の支配構造にあります。表向きは満洲国政府の国務総理大臣や各部大臣(大臣に相当)に中国人有力者が就任していましたが、各省庁の実権を握っていたのは「総務庁次長」や各司の長に配置された日本人官僚でした。
特に国務院総務庁長官は事実上の最高権力者として機能し、関東軍参謀部との密接な連携のもとで政策立案から財政運用までを独占しました。溥儀の執政官邸(後の宮内府)には関東軍将校が常駐し、溥儀が面会する人物、交わす書簡、日々の動向に至るまで厳格に監視されました。
溥儀の側近であった愛新覚羅溥傑(溥儀の実弟)の証言録や当時の公電によれば、溥儀が自ら起案した政策や人事案が関東軍によって握りつぶされた例は枚挙にいとまがありません。溥儀は後に、「自分は執政と呼ばれながら、執務室で自らの意志で署名できた書類は一枚も存在しなかった」と回顧しており、執政就任直後から深い無力感と猜疑心に苛まれていたことが記録されています。