黒い霧事件によって最も壊滅的な打撃を受けたのが、九州の誇りであった西鉄ライオンズでした。三原脩監督のもとで「野武士軍団」と恐れられ、日本シリーズ3連覇を達成した名門は、投打の主力選手を一挙に失ったことで戦力が完全に崩壊しました。
1970年以降、チームはパ・リーグ最下位に沈み、ファンの球場離れと相次ぐスポンサー離脱により球団経営は深刻な赤字に陥りました。西日本鉄道は球団保持を断念し、1972年オフに球団を売却。その後、「太平洋クラブライオンズ」「クラウンライターライオンズ」と親会社を転々とする苦難の時代を経て、1978年に西武グループに買収され、埼玉県所沢市へ本拠地を移転(現・埼玉西武ライオンズ)することになります。
黒い霧事件は、単なる一球団のスキャンダルを超えて、福岡の街からプロ野球チームが一時失われるという球界再編の引き金となりました。
現在、NPBではこの痛恨の歴史を最大の教訓とし、新人研修における反社会的勢力排除教育の徹底、警察当局との緊密な連携、さらには「NPBアンチ・ドーピング規程」や「インテグリティ(高潔性)保護のための相談窓口」の設置など、厳格なコンプライアンス体制を構築しています。近年、世界中でオンラインスポーツベッティングが急速に普及する中、選手へのアプローチや不正リスクを防ぐための防波堤として、黒い霧事件の記憶は今なお球界に生き続けています。