徳川幕府によるキリスト教禁教政策は徹底を極めました。1612年の幕領禁教令、1614年の全国禁教令に続き、1637年の島原・天草一揆を経て幕府の警戒は頂点に達します。幕府はすべての庶民を寺院に所属させる「寺請制度」を敷き、キリシタン摘発のための「絵踏み(踏み絵)」を毎年のように義務付けました。
命の危険と隣り合わせの極限状態のなかで、潜伏キリシタンたちは信仰を隠し通すために驚くべき知恵と偽装工作を生み出します。
その代表例が「マリア観音」です。中国製の白い白磁の観音菩薩像や慈母観音像を仏棚に祀り、役人の前では熱心な仏教徒のふりをしながら、心の中では幼子イエスを抱く聖母マリアに向けて祈りを捧げていました。
また、祈りの言葉である「オラショ(ラテン語のoratio=祈りに由来)」は、幕府の摘発を恐れて文字に残すことが固く禁じられました。そのため、信徒たちはラテン語やポルトガル語の祈文を一言一句、口頭伝承(口移し)で何世代にもわたって暗記し続けました。長い年月のなかで言葉の発音は日本語特有の響きへと変化し、まるで呪文や祝詞のような独特の節回しを持つ祈りへと昇華していったのです。
絵踏みを迫られた際には、信仰を捨てるわけではないと心の中で神に許しを請いながら聖画像を踏み、帰宅後に「オラショ」を唱えて激しい悔悛の祈りを捧げていた記録も残されています。