1970年代、音楽事務所サンデーフォークプロモーションへの所属をきっかけにタレントとしての頭角を現した彼は、軽妙なトークと親しみやすいキャラクターで一躍地元の人気者となった。その人気を象徴する楽曲『名古屋が最高』は、地元愛に満ちたフレーズで愛知県民の心を掴み、彼の代名詞として長く親しまれることになる。
彼のキャリアにおいて最大の金字塔となったのが、東海ラジオで放送された帯のワイド番組『宮地佑紀生の聞いてみやち』である。アシスタントを務めた神野三枝との絶妙な掛け合いは、まさに名古屋の昼の風物詩。日常生活の身近な愚痴から地域ネタまで、リスナーからの便りを温かく、時には辛口に拾い上げるスタイルは、爆発的な視聴率と聴取率を叩き出した。