昭和映画界の頂点に君臨していた佐田啓二を突如襲った悲劇は、1964年8月17日未明に発生しました。当時、NHK大河ドラマ第3作『太閤記』の浅井長政役など多忙なスケジュールを極めていた佐田は、避暑のために滞在していた長野県蓼科高原の別荘から、仕事のため東京へと戻る途上でした。
午前6時30分頃、山梨県韮崎市の国道20号線・塩川橋付近において、佐田啓二が後部座席に乗車していた専属運転手の乗用車が、前方を走るダンプカーを追い越そうとした際に接触。コントロールを失った車輪が橋の欄干に激突し、約3メートル下の河原へと転落・大破しました。
この凄惨な交通事故により、佐田啓二は頭蓋骨骨折や胸部打撲などの重傷を負い、韮崎市立病院へ救急搬送されたものの、同日午前11時頃に息を引き取りました。享年37(満37歳没)という、あまりにも早すぎる死でした。
当時、中井貴一は2歳11か月。3歳の誕生日を迎える直前の出来事であり、長女の貴恵もまだ6歳でした。一家の大黒柱であり、日本映画界の至宝を突然失った中井家の悲哀は計り知れず、葬儀には小津組の盟友や木下組の映画人、そして数千人規模のファンが詰めかけ、その早世を悼みました。