歌舞伎ファンや歴史に関心を持つ読者がしばしば疑問に抱くのが、「播磨屋(はりまや)」と「萬屋(よろずや)」の相違点です。両者はもともと同根であり、明治から昭和にかけての劇界再編の中で分派した歴史を持っています。
江戸末期の名優・三代目中村歌六の系譜から、長男の初代中村吉右衛門が「播磨屋」を大きく発展させました。一方で、三男である三代目中村時蔵の一家も長らく播磨屋を名乗っていました。しかし、昭和46年(1971年)、三代目時蔵の遺児たち(二代目歌昇、四代目時蔵、中村錦之助、初代獅童、中村嘉葎雄ら)が、祖先ゆかりの屋号である「萬屋」へと独立改称しました。
この屋号独立の背景には、映画界へ進出し日本映画のトップに君臨した萬屋錦之介らの絶大な発信力と、「自らの血統による独自の芸と結束を確立する」という強い意思がありました。重厚で風格ある時代物を得意とする播磨屋の伝統を根底に持ちながら、萬屋は映画・テレビ・舞台を自在に行き来する革新性と大衆性を兼ね備えた一門として独自の進化を遂げたのです。