昭和天皇が亡くなった日(1989年1月7日)の緊迫した裏側と歴史的瞬間を解き明かすと、当時の報道現場や政府中枢では極度の緊張と混乱が背中合わせに存在していた。天皇崩御という歴史的事態に対し、政府は新元号の決定手続きを速やかに進める必要があった。崩御からわずか数時間後、小渕恵三官房長官(当時)が墨書された「平成」の2文字を掲げた瞬間は、日本現代史に残る象徴的な情景となった。
一方で、街中からはあらゆる娯楽や華やかなイベントが消えた。テレビのバラエティ番組は放送自粛となり、映画館やテーマパークも休止や自粛体制へ。報道・出版産業においては、予定していた新春企画や広告をすべて差し替えるという前代未聞の突貫作業が行われた。後に当時の関係者への独占取材や回想録で明かされた知られざる真実によれば、新元号発表の数時間前まで候補名の絞り込み作業が極秘裏に続けられ、情報漏洩を防ぐための徹底した情報統制が敷かれていたという。