鳴ちゅるうどんの独特な麺と出汁のスタイルは、単なる偶然や店主の気まぐれで生まれたものではありません。そこには鳴門の地勢と産業史に根ざした明確な必然性があります。
徳島県鳴門市周辺は、藩政時代から昭和後期にかけて日本有数の広大な「塩田地帯」として栄えていました。塩田での作業は、照りつける太陽のもとで重い砂や海水を運ぶ過酷を極める重労働でした。過酷な作業の合間、塩田労働者たちが求めたのは「短時間で手早く食べられ、疲弊した胃腸に負担をかけない食事」でした。
茹で時間を短縮するために麺を薄く不揃いに伸ばし、消化吸収を早めるために柔らかく茹で上げる。さらに、汗で失われた塩分と水分を無理なく補給できるよう、あっさりとした出汁をたっぷり注ぐ。鳴ちゅるうどんの柔らかさと黄金出汁は、塩田労働者の健康と過酷な労働環境を支えるために磨き抜かれた現場の知恵だったのです。
地元では長年単に「うどん」「鳴門うどん」と呼ばれていましたが、2000年代初頭に徳島県在住の写真家・中野晃治氏がその独特の啜り心地から「鳴ちゅる」と命名し、探訪記を出版したことで一気に知名度が向上。その後、商工会議所や有志による「鳴門うどん研究会」が発足し、徳島を代表するご当地グルメとして広く定着しました。