1990年12月、絶大な人気を誇りながらも内部対立によって突如崩壊した第2次UWF。ファンが呆然とするなか、所属選手たちは前田日明の「リングス」、高田延彦らの「UWFインターナショナル」、そして藤原喜明率いる「プロフェッショナルレスリング藤原組(PWFG)」という3つの道へ分裂していきました。
藤原組が産声を上げたのは1991年3月4日、後楽園ホール。新日本プロレスで「テロリスト」として名を馳せ、カール・ゴッチ直伝のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを極めた藤原喜明のもとには、船木誠勝(当時:船木優治)や鈴木みのる(当時:鈴木実)といった若き至宝たちが集まりました。
大手メガネチェーン「メガネスーパー」の強力な資金バックアップを受けた藤原組は、従来のプロレスの枠組みを超えたソリッドな試合展開を披露。キックボクシング世界王者モーリス・スミスや、のちにUFC王者となるケン・シャムロック(当時:ウェイン・シャムロック)ら実力派外国人を招聘し、東京ドーム規模のビッグマッチを成功させるなど、格闘プロレスの最前線として異彩を放ちました。