現場を牽引したカール・ジョーンズは、現代のアメリカが抱える病理を描くためには、生ぬるいノスタルジーに浸るわけにはいかなかったと周囲に漏らしていたという。1970年代と現代とでは、都市部のアフリカ系コミュニティが直面する課題の質もスピード感も根本から異なる。だからこそ、タブー視されがちなトピックにあえて土足で踏み込む過激なユーモアが必要だったのだ。
ステフィン・カリーのエグゼクティブ・プロデューサーとしての関与も、単なる名義貸しにとどまらなかった。スポーツ界の枠を超え、現代社会におけるコミュニティ支援の重要性を訴えてきたカリーは、過激な描写の中にも「逆境に立ち向かう家族の芯の強さ」を残すよう働きかけたと言われている。