本件を巡る報道のあり方は、日本の報道・メディア産業が抱える構造的課題をも痛烈に炙り出した。発覚初期、テレビのニュース番組や大手紙は一様に歯切れの悪い報道に終始していた。大手新聞社やテレビ局の幹部層に多数存在する慶應出身者のパイプ、いわゆる「三田会」の見えないネットワークに対する配慮や忖度が働いたのではないかとの疑念が根強く残る。
しかし、ネット上の独立系メディアやSNSを通じた市民ジャーナリズムが旧来メディアの沈黙を破った。伝統的な報道機関が自己保身の姿勢を強める中、情報流通の主導権はすでに既存メディアの手を離れつつある。メディア産業が自ら課した過剰な「自主規制」は、信頼失墜というブーメランとなって自らに突き刺さっている。