父の阿部壮三郎(あべ そうざぶろう)は、地方を巡る浪花節の浪曲師でした。映画やテレビが普及する以前、大衆娯楽の王道だった浪曲に命を捧げた芸人であり、その喉から絞り出される唸り節は、哀切と情念を帯びて人々の心を打ったといいます。
しかし、昭和30年代に入ると娯楽の主役は急速に映画や歌謡曲へと移り変わり、地方の浪曲興行は衰退の一途をたどりました。壮三郎は芸人としての誇りを胸に抱きながらも、時代の変化に伴う生活苦と常に闘い続けていました。後に藤圭子が見せた「情念を絞り出すような低音」や「言葉に命を吹き込む独特の節回し」は、間違いなく父・壮三郎が放っていた浪花節のDNAが色濃く反映されたものです。