表現者たちは常に、この見えない壁に挑み続けてきた。その象徴が、映画監督の大島渚が1976年に発表した映画『愛のコリーダ』を巡る裁判である。書籍版に含まれるスチル写真やテキストの描写が問題視され、表現の自由を保障する憲法第21条と刑法第175条の緊張関係が法廷で真正面から激突した。
大島監督は法廷で、人間の生と性を不可分な芸術的営みとして描き出す正当性を徹底的に主張した。結果として無罪を勝ち取ったものの、裁判所が下した判断は「作品全体の芸術的価値を考慮すれば、わいせつ性を帯びていない」という個別具体的な妥協に過ぎなかった。出版業界はこの判決を契機に自主規制の基準を幾度となく練り直してきたが、「全体として芸術的であれば許されるのか」という境界線は、現在に至るまで明快な数式にはなっていない。