豊臣家最大の悲劇といえば、秀吉の甥であり関白の座を継いだ豊臣秀次の粛清だ。秀吉に実子(秀頼)が生まれたことで邪魔者扱いされ、切腹に追い込まれた。それだけでなく、彼の妻子や侍女ら30人以上が三条河原で惨殺された。この凄惨な事件により、秀次の血筋は根絶やしにされたというのが通説である。
だが、裏はある。事件の直前、密かに京都を脱出し、地方の有力大名や寺院に匿われた幼い子どもたちがいたという伝承は全国に点在する。今回の古文書は、その伝承が決して夢物語ではないことを裏付ける。ある一派が東北地方へと逃れ、名前を変えて生き延びた経緯が克明に記録されていたのだ。