全国的には旧暦10月を「神無月」と呼ぶのに対し、島根県の出雲地方(出雲大社や佐太神社、万九千神社など)では昔から「神在月(神有月)」と呼称してきました。文字通り「全国で神様がいなくなる月」である一方、「出雲には全国の神様が在(ござ)す月」という対比構造が成立しています。
民俗学および国文学の研究において、本来の語源については複数の見解が存在します。言語学的には「神無月」の「な」は連体助詞の「の」であり、元来は「雷無月(水無月=水の月と同様)」と同じく「神の月(神を祀る月)」を意味していたとする説が有力です。古代の人々にとって、秋の収穫を終えて神々に新穀を捧げ、感謝を捧げる月であった事実がその基盤にあります。
では、なぜ「神々が出雲へ旅立って不在になる」という物語が定着したのか。歴史的な転換点は中世から近世にかけての時期にあります。出雲大社の信仰を全国へ広める役割を担った「御師(おし・おんし)」と呼ばれる宣教師たちが、出雲大社の主祭神である大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)の神徳を説く中で、「全国の神々が出雲に集い、人々の縁を結ぶ大会議を開く」という神話を分かりやすく全国へ布教しました。この民俗信仰が広く受け入れられ、出雲だけが神を迎える「神在月」として固有の地位を確立していった背景があります。