1978年(昭和53年)7月11日、日本中を震撼させる事件が発生します。京都市東山区の高級ナイトクラブ「ベラミ」で寛いでいた田岡一雄が、至近距離から銃撃された「ベラミ事件」です。
犯人は、山口組と対立していた大日本正義団の幹部・鳴海清。鳴海は店内に潜入し、背後から38口径の拳銃で田岡の首を狙い撃ちました。銃弾は田岡の頸部を貫通。居合わせた医師の迅速な応急処置と、急所をわずか数ミリ外れていた強運により、田岡は奇跡的に一命を取り留めました。
しかし、この暗殺未遂事件は山口組の威信を揺るがし、血で血を洗う大規模な報復抗争(第三次大阪戦争)へと発展します。実行犯の鳴海清は逃亡の末、同年9月に六甲山中で無残な変死体となって発見されるという戦慄の結末を迎えました。
事件から生還したものの、高齢と持病の心臓病、そして銃撃による肉体的ダメージは田岡の身体を確実に蝕んでいきました。1981年(昭和56年)7月23日、神戸市灘区の自宅で急性心不全を発症。享年68歳で田岡一雄は波乱の生涯に幕を閉じました。その死因は長年の心筋梗塞と心不全であり、病魔には勝てなかった最期でした。