名優の命を奪った直接の引き金は、がんそのものの進行ではなかった。発端は2012年6月に公表された初期の食道がんである。定期検診で見つかった病巣は早期であり、勘三郎自身も「必ず戻ってきます」と復帰へ強い意欲を燃やしていた。
同年7月に都内の病院で12時間に及ぶ大手術が行われ、食道の腫瘍は見事に切除された。手術自体は成功を収めたものの、術後の経過は極めて過酷なものとなる。激しい誤嚥性肺炎を発症し、肺の機能が急速に低下。肺胞に水が溜まり酸素を取り込めなくなる急性呼吸窮迫症候群(ARDS)へと進行してしまったのだ。
集中治療室(ICU)での治療は、人工心肺装置(ECMO)まで動員される壮絶な戦いとなった。約4カ月間に及ぶ懸命な救命措置が続けられたが、肺の組織障害はあまりにも深く、最期は多臓器不全を併発して息を引き取った。がんを克服した直後に襲いかかった呼吸器系の急変――医学の全力を尽くしても食い止められなかった病魔の連鎖こそが、早すぎる死因の真相である。