締結からわずか2年後の1904年、日英同盟と日露戦争は切っても切り離せない関係として歴史の表舞台に立ち現れます。同盟条約には「一国と交戦する際は他方は中立を守り、二国以上と交戦する場合は参戦する」という規定が盛り込まれていました。これにより、ロシアと同盟関係にあったフランスやドイツの参戦を封じ込めることに成功したのです。
英国による支援は外交的な牽制にとどまりませんでした。戦費調達に苦しむ日本に対し、高橋是清がロンドン市場で発行した外債の引き受けを全面的に後押しし、膨大な戦費の約半分を英米市場で調達することを可能にしました。
さらに決定打となったのが情報と兵站の遮断です。英国はロシアの誇るバルチック艦隊に対し、同国が実質支配していたスエズ運河の通航を拒否。アフリカ大陸の喜望峰を回る過酷な長距離航海を余儀なくさせました。加えて、世界最高品質を誇る英国産「ウェールズ炭」の補給をロシア軍に禁じ、日本海軍には優先供給。最新の電信ネットワークによる位置情報の提供も含め、日本海海戦における歴史的勝利の舞台裏には、英国の冷徹な兵站戦略が存在していました。