上田城を語る上で欠かせないのが、武田信玄の臣下として頭角を現し「表裏比興の者」と称された真田昌幸の存在だ。わずか数千の兵力で数万の徳川軍を流血の惨事へと追い込んだ二度の「上田合戦」は、日本の軍事史においても異彩を放つ。昌幸は千曲川の河岸段丘という自然の地形を巧みに取り込み、城下町全体を罠へと仕立て上げた。
父・昌幸の鋭い戦術と不屈の精神は、のちに大阪の陣で勇名を馳せる息子の真田幸村(信繁)にも色濃く受け継がれた。若い日々にこの城の土を踏み、千曲川の風を感じながら育まれた智勇。後世、NHK大河ドラマ『真田丸』などで描かれた一族の生き様は、過酷な乱世を生き抜いた「真田氏」の気概そのものである。石垣の端に残る傷跡一つにも、彼らが賭けた命の重みが刻まれている。