2026年現在の彼の活躍を見渡すと、従来の「主演」か「助演」かというカテゴリー分けがいかに無意味であるかに気づかされる。数分間の登場であっても、観客の記憶に強烈な爪痕を残す。一方で、作品を一人で背負う主演映画では、狂言回しのように物語の歪みを淡々と受け止めていく。
最近の出演作でも、どこか得体の知れないキーパーソンとして画面の隅に滑り込み、物語の雰囲気をガラリと塗り替えてしまった。自分の出番を主張するのではなく、作品全体の音律を整える調律師のような立ち振る舞い。この引き算の美学こそ、彼が引く手あまたである理由に他ならない。