評価が極端に分かれる最大の要因は、彼が持つ「自然体すぎる佇まい」だ。「嵐」としての親しみやすいパブリックイメージが強いあまり、スクリーンの向こうに役柄ではなく「二宮和也本人」を見出してしまう視聴者が一定数存在する。
また、彼の演技は「セリフを喋っている」という感覚を相手に与えない。日常会話の延長線上にあるようなボソボソとした発声や、不規則な呼吸音を取り入れたスタイルは、フィクションとしてのカタルシスを求める層には「熱量不足」と受け取られがちだ。だが、これこそが彼の真骨頂であり、日常のリアリティを作品に注入する稀有な才能なのだ。