静かな抗議の代償は重かった。帰国後、政権から2000語宣言の署名撤回を迫られたが、彼女はかたくなに拒否。その結果、競技生活の場を奪われ、スポーツ界からの追放という過酷な処分が待っていた。長年にわたり清掃職などの低賃金労働を余儀なくされ、表舞台から完全に姿を消すこととなる。
長い沈黙の時代を経て、1989年に東欧革命が勃発。「無血革命」によって共産党体制が崩壊すると、彼女の不屈の歩みにようやく光が当たった。復権を果たした彼女を高く評価したのが、民主化運動の指導者であり初代大統領に就任したヴァーツラフ・ハヴェルだ。ハヴェルは彼女を大統領補佐官に抜擢し、国家の再建をともに担うパートナーとした。さらに彼女は国際オリンピック委員会(IOC)の委員としても活動し、スポーツ界の発展と平和の推進に力を尽くした。