東京大会での大成功を経て、彼女の祖国チェコスロバキアは1968年に大きな転換期を迎えます。共産党体制下での民主化運動「プラハの春」が勃発し、チャスラフスカは民主化を支持する知識人や市民が発表した「二千語宣言」に著名人として署名しました。
しかし同年8月、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアへ軍事介入を強行。反体制派と見なされたチャスラフスカは逮捕を逃れるため、モラビア地方の山中に身を隠す逃亡生活を余儀なくされます。練習施設もない山奥で、彼女は木の枝にぶら下がって段違い平行棒の練習をし、石炭の袋を持ち上げて筋力を維持するという極限状態の中で調整を続けました。
奇跡的に出国許可が下りて出場を果たした1968年メキシコオリンピックで、チャスラフスカは個人総合を含む4つの金メダルと2つの銀メダルを獲得。女子体操選手として史上屈指の金字塔を打ち立てます。そして、ソ連選手と同点優勝となった種目別ゆかの表彰台で、ソ連国歌が流れた瞬間、彼女は顔をうつむけて右下へと背けました。言葉を発することなく、自らの身体でソ連の軍事侵略に対する強い抗議を示した「沈黙の抵抗(サイレント・プロテスト)」は、世界中に鮮烈な衝撃を与えました。