2011年3月11日の地震と大津波により、福島第一原発はすべての交流電源を喪失。原子炉を冷却する手段が絶たれ、燃料棒が過熱・損傷する極限状態へと陥りました。炉心溶融(メルトダウン)を遅らせ、さらなる圧力上昇による格納容器破壊を防ぐ最後の手段が「消防車を用いた海水注入」でした。
3月12日夕刻、1号機への海水注入が開始された直後、東京電力本店および官邸側から「首相の理解が得られていない」「再臨界のリスク確認が済んでいない」といった理由から、注水を一時中断するよう指示が飛びました。官邸と本店、現場との情報伝達が混乱を極めるなか、所長室にいた吉田氏は注水停止がもたらす破滅的リスクを瞬時に直感します。
ここで吉田所長が下した判断は、極めて巧妙かつ大胆なものでした。テレビ会議システムを通じて本店に対しては「注水停止」の指示を了解したように見せかけつつ、注水を担当する発電班長に対し「俺がテレビ会議で注水停止を叫んでも、絶対に止めるな」と耳打ちし、海水注入を継続させたのです。技術者としての確固たる知見と、一刻の猶予もない現場の現実を優先したこの決断は、後に破局的な炉心崩壊を食い止めた決定打として高く評価されています。