ジャカルタに渡った七保子は、やがて「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」の名を与えられ、インドネシア大統領府で一国の大統領妃としての歩みを始める。豪華絢爛な宮殿での生活、各国の首脳陣との交流。しかし、その華やかさの裏で、日本に残された母・福島との通信は限られていた。
当時の大統領府関係者によれば、デヴィ夫人は多忙な公務の合間に、必ず日本の母へ手紙や送金を欠かさなかったという。一方、母・福島は娘の身を案じながらも、過度なメディアの狂乱から身を隠すように静かに暮らした。娘が世界の頂点で輝く姿を喜びつつも、遠い異国で政変の波に巻き込まれないかを祈り続ける毎日だった。