この学校を語る上で避けて通れないのが、在日本朝鮮人総聯合会との歴史的な結びつきと、民族教育そのものが歩んできた過酷な道筋だ。1945年の解放後、母国語とアイデンティティを取り戻すために全国各地で作られた「国語講習所」がそのルーツにあたる。
阪神教育闘争をはじめとする激しい弾圧を乗り越え、学校法人格の取得や自主財源による校舎建設が進められてきた。しかし、指導要領や教科書の内容、運営体制を巡る議論は常に外部からの批判の的となってきた。自らのルーツを誇りに思う心を育てることと、日本社会で生きていくための適応力を養うこと。現場はその二つの要請の間で、常にバランスを模索し続けている。