大政奉還によって先手を打たれた薩長側は、一時的に武力行使の口実を奪われ激しい動揺に陥りました。しかし、倒幕派の首脳陣はただ手をこまねいていたわけではありません。慶喜の計略を見抜いた西郷隆盛や大久保利通らは、わずか1ヶ月半後の12月9日に軍事クーデターを敢行します。それが「王政復古の大号令」です。
二つの歴史的出来事の違いを整理すると、権力闘争の実態が鮮明になります。
御所の小御所会議において、薩長は慶喜に対して官位の返上(辞官)と全直轄領の朝廷への返還(納地)を突きつけました。財産と領地を丸ごと奪われれば、徳川家はただの一諸侯に転落します。これこそが慶喜の計算を根底から覆した薩長の起死回生の一手でした。