徳川慶喜はなぜ大政奉還を決断したのか?政権返上に秘めた逆転シナリオ

徳川慶喜はなぜ大政奉還を決断したのか?政権返上に秘めた逆転シナリオ

徳川慶喜はなぜ大政奉還を決断したのか?政権返上に秘めた逆転シナリオとはどのようなものなのか? 専門的な分析を簡潔に解説します。

大政奉還によって先手を打たれた薩長側は、一時的に武力行使の口実を奪われ激しい動揺に陥りました。しかし、倒幕派の首脳陣はただ手をこまねいていたわけではありません。慶喜の計略を見抜いた西郷隆盛や大久保利通らは、わずか1ヶ月半後の12月9日に軍事クーデターを敢行します。それが「王政復古の大号令」です。

二つの歴史的出来事の違いを整理すると、権力闘争の実態が鮮明になります。

区分大政奉還(10月14日)王政復古の大号令(12月9日)主導者徳川慶喜(土佐藩が建白)薩摩藩・長州藩・岩倉具視ら目的平和的政権移行を装い、議会体制で徳川の実権を保持する徳川家を新政府から完全排除し、実権を奪取する決定打将軍職辞任の申し出(朝廷は当面の行政を委託)幕府の廃止宣言、および慶喜への「辞官納地」要求

御所の小御所会議において、薩長は慶喜に対して官位の返上(辞官)と全直轄領の朝廷への返還(納地)を突きつけました。財産と領地を丸ごと奪われれば、徳川家はただの一諸侯に転落します。これこそが慶喜の計算を根底から覆した薩長の起死回生の一手でした。

橋本 菜々子
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橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。