エレクトロニクス産業での成功にとどまらず、稲盛和夫は通信自由化の波に乗って第二電電(現・KDDI株式会社)を立ち上げ、日本の航空・通信事業に革命をもたらした。さらに70代後半を迎えて挑んだのが、日本航空株式会社(JAL)の再建である。周囲の猛反対を押し切り、無給で会長に就任するという破格の決断を下した夫に対し、朝子夫人は一切の反対をしなかった。
「世のため人のためになるのであれば、思い切って行ってらっしゃい」。その一言が、老境に入った経営者の背中を強く押した。心身ともに極限まで削られるような再建劇の最中、自宅に戻った夫を温かな笑顔と手料理で迎え入れた朝子夫人の存在こそが、過酷な現場を乗り切る最大のエネルギー源だったことは間違いない。