岡田茉莉子の若い頃の美しさは、銀幕の中でもひときわ異彩を放っていました。洗練された都会的な顔立ちと知性を感じさせる強い眼差し、抜群のプロポーションは、当時の映画界に鮮烈な衝撃を与えました。
彼女の才能の根底には、偉大な血筋が存在します。父親は無声映画時代の伝説的二枚目スター・岡田時彦です。小津安二郎監督初期の傑作『東京の合唱』などで絶大な人気を誇った名優でしたが、岡田茉莉子がわずか1歳のときに結核のため30歳の若さで早世しました。宝塚歌劇団出身の母・田野口みどりの手ひとつで育てられた彼女は、父の記憶をほとんど持たずに育ちます。
高校在学中の1951年、父の友人でもあった文豪・谷崎潤一郎の推薦を受け、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』で東宝からデビューを果たしました。芸名の「岡田茉莉子」は谷崎潤一郎によって命名されたものです。父親譲りの天性の華やかさと確かな素質は瞬く間に開花し、若くしてスターダムを駆け上がることになりました。