秋の夜長、遠方に住む家族や友人に「いま外で鈴虫が綺麗に鳴いているよ」とスマートフォンのマイクを向けた経験はないだろうか。だが、期待に反して相手からの返答は一様に「何も聞こえない」という素っ気ないものになる。故障でも通信障害でもない。ここには音声伝送技術における決定的な理由が存在する。
一般的な固定電話やスマートフォンの音声通話帯域は、人間の会話音声を効率よく届けるために約300Hzから3400Hz(3.4kHz)の範囲に制限されている。人間の話し声の主成分はこの帯域に収まるため、データ容量を節約しつつクリアな対話を実現するには極めて都合が良い。しかし、鈴虫が羽を擦り合わせて発する鳴き声の周波数は、およそ4500Hz(4.5kHz)という非常に高い帯域に集中している。つまり、通話システムに搭載された帯域制限フィルターによって、鈴虫の声は「不要な高周波ノイズ」とみなされ、送信前に容赦なくカットされてしまうのだ。
どんなにスマートフォンの性能が向上し、5Gなどの高速通信網が普及した2026年の現在においても、標準の音声通話プロトコルが人間同士の会話に特化している限り、目の前で鳴り響く鈴虫の音色が電話の向こう側に届くことはない。