8年にも及ぶ長い旅路を終えて彼らが日本に戻ったとき、祖国の状況は一変していた。豊臣秀吉によるバテレン追放令が下され、かつての熱烈な歓迎ムードは完全に消え去っていたのだ。
伊東マンショは若くして病死し、中浦ジュリアンは凄惨な拷問の末に殉教した。原マルチノはマカオへと追放され、千々石ミゲルは信仰を捨てて歴史の闇に消えた。かつてローマで熱狂的な歓声を浴びた少年たちの末路としては、あまりにも残酷だ。彼らの帰国後の足跡が不自然なほど歴史から抹消されている理由は、当時の政権にとって彼らの存在自体が不都合な「不発弾」だったからに他ならない。