高橋投手を苦しめ続けた最大の要因は、特定の箇所にとどまらない複合的な故障の連鎖にありました。大学屈指の左腕として名を馳せた亜細亜大学経歴の時代から、腕の振りの鋭さとボールのキレは突出していましたが、その驚異的なスピン量を生み出す投球フォームは、関節や神経系に極めて強い負荷を強いる構造でもありました。
入団後、左肩の機能不全や肘の炎症に悩まされ、2026年春には左肘の内側側副靭帯再建術、いわゆるトミー・ジョン手術に踏み切りました。通常、この手術だけでも実戦復帰までに1年以上の歳月を要しますが、彼の試練はそれだけでは終わりませんでした。リハビリ過程で指先の感覚麻痺や血行障害を引き起こす胸郭出口症候群を併発し、2026年には第一肋骨を切除する手術、さらには肩周辺の腱板クリーニング手術など、合計で複数回に及ぶ大規模な外科手術を受けることとなったのです。
投球の生命線である腕や神経のバイパスを根本から修復する手術は、投球感覚の喪失リスクを伴う危険な賭けでもありました。当時の手記や関係者の証言によると、「ボールを握ることすら怖くなった時期があった」と吐露するほどの精神的極限状態に追い込まれながらも、医療スタッフと二人三脚で神経伝達と筋出力の再教育を地道に続けました。この不屈の執念こそが、医学的にも極めて難度の高い複合手術からの完全復活を可能にした原動力です。