小学校を卒業後、2人は同じ伊丹市立松崎中学校に進学しますが、クラブチームの選択で異なる道を歩み始めます。坂本は「伊丹シニア」へ進み、田中は「宝塚ボーイズ」へと所属しました。
この中学時代こそが、2人のポジションを現在へと導く大きなターニングポイントとなります。田中は宝塚ボーイズで指導者の助言もあり、その圧倒的な強肩を活かすべく本格的に投手へと転向。球速を急速に伸ばし、快速右腕としての頭角を現しました。一方の坂本も、より広い守備範囲と天性のハンドリングを活かすため、内野手(主にショート)としての才能を開花させていきます。
高校進学時、田中は北の大地・北海道の駒澤大学附属苫小牧高校へ、坂本は青森県の光星学院高校(現・八戸学院光星)へとそれぞれ野球留学を決断。離れた地で切磋琢磨した2人は、共に甲子園の舞台で全国にその名を轟かせ、迎えた2006年高校生ドラフト会議において、田中が東北楽天ゴールデンイーグルスから、坂本が読売ジャイアンツからそれぞれ1巡目指名を受け、プロの門を叩きました。