「百済」という漢字の組み合わせから「くだら」という音を導き出すことは、現代の日本語の音訓表をいくら探しても不可能です。漢字表記の「百済」に対して「くだら」という音を当てる現象は、言語学において「熟字訓(じゅくじくん)」、あるいは外来語の固有名詞に漢字の意味や当て字を重ねた「借字(しゃくじ)」の一種として分類されます。
では、なぜ古代の日本人はこの国を「くだら」と呼んだのでしょうか。言語学者や歴史研究者の間では、主に以下の3つの有力な語源説が提唱され、議論が重ねられてきました。
① 古代朝鮮語の「大きな国(クンナラ)」転訛説
古代朝鮮語で「大きい」を意味する言葉(現代韓国語の「クダ / 크다」の祖語)と、「国」を意味する「ナラ(나라)」が合体した「クンナラ(大国)」が、日本側に伝わる過程で音韻変化を起こし「くだら」になったとする説です。当時、先進的な仏教文化や土木技術、儒教などを倭国へもたらした百済は、古代日本人にとってまさに仰ぎ見るべき「大国」であったことから、実態とも合致する有力説とされています。
② 王都を流れる大河「錦江(クダラ)」地名由来説
百済の王都であった熊津(ウンジン、現・公州)や泗沘(サビ、現・扶余)を流れる大河「錦江(クムガン)」の古名が「久多羅(くだら)」あるいは「白馬江(はくばこう)」と呼ばれていたことに由来する説です。古代において国家の名称は、首都を貫く母なる大河や港の地名で代表されるケースが極めて多く、倭国の使節や商人が往来した主要水運ルートの名称がそのまま国名呼称として定着したと考えられています。
③ 渡来人集団の自称・原郷呼称説
百済から日本列島へ移住してきた渡来人たちが、自らの出自や本貫を「クダラ」と自称し、それがヤマト政権の中枢に浸透したという説です。『日本書紀』や『古事記』をはじめとする古代文献においても「百済」と書いて「くだら」と読ませる表記が一貫して用いられており、極めて早い段階で「百済=くだら」という音声言語と文字言語の結びつきが完成していた証左といえます。