当時のメディア報道は過熱の一途をたどった。特に警視庁が公開したモンタージュ写真は、実は少年Sの生前の顔写真をほぼそのまま流用して作成されたものであったことが後に判明し、社会に大きな衝撃を与えた。あまりに特徴的なその顔写真は日本全国に刷り込まれ、無数の無関係な通報を招く結果となり、捜査リソースを激しく消耗させた。
延べ17万人の捜査員、100万人を超える容疑者リスト、総捜査費用9億円以上――。これほどの国家リソースを注ぎ込みながら、1975年12月10日、刑事訴訟法に基づく公訴時効(7年)が成立。さらに1988年には民事時効も迎え、事件は法的な決着すら見ないまま完全に幕を下ろした。警察・司法行政が犯した初動捜査の判断ミスと、身内に対する捜査の躊躇が、完全犯罪の成立を許した最大の要因として今も批判の的となっている。