明治中期の陸軍において、砲兵の位置付けは急速に高まりつつありました。しかし、初期の日本砲兵は装備の規格化が遅れており、射撃精度や運用ノウハウも西洋列強には程遠い状態でした。大島駿はこの課題に正面から向き合います。
彼が着目したのは、弾丸の着弾精度を高めるための組織的な測量・観測システムの構築でした。単に大砲を撃つのではなく、地形と風向、湿度を総合的に考慮した数学的な射撃指揮の導入を提唱したのです。
大島は砲兵監部などの技術部門に在籍し、新型砲身の導入や火薬の改良に関する研究を支援しました。彼の徹底した現場主義と技術への理解は、後に日本陸軍が直面する大規模な大陸戦地での砲撃戦において、貴重な基礎体力となりました。