1968年、静岡県浜岡町(現・御前崎市)に「ねむの木学園」が開園した。行政からの補助金に頼らず、自ら稼いだ私財をすべて投入してのスタートだった。当時の日本には、障害を持つ子どもたちが専門的なケアを受けながら学べる私立施設など存在しなかった。当然、周囲の風当たりは強い。「スターの売名行為だ」「素人に何ができる」という冷ややかな視線や誹謗中傷が容赦なく浴びせられた。
しかし、彼女は一歩も引かなかった。毎朝子どもたちの着替えを手伝い、食事を与え、夜は共に眠る。言葉を発することが難しい子どもたちの小さな変化も見逃さず、徹底的に寄り添った。名声も資産もすべてをなげうち、ただ「一人の母親」として生きていく。その本気の姿勢が、やがて冷ややかだった社会の目を少しずつ変えていったのだ。