2.26事件には、一般の教科書的な理解からは抜け落ちがちな、重要な歴史の暗号と誤解が存在します。その最たるものが「岡田啓介首相の奇跡の脱出劇」と「事件後の政治権力の移行」です。
事件当時、首相官邸を急襲した反乱軍は、岡田首相の義弟であった松尾伝蔵陸軍大佐を首相本人と誤認して射殺しました。遺体を確認した将校たちも、松尾の容貌が岡田に酷似していたため「首相を討ち取った」と誤認して官邸を封鎖。その間、本物の岡田首相は女中部屋の押入れの奥に潜み、息を潜めていました。翌27日、首相秘書官の福田耕や懇意の憲兵らが弔問客に紛れて官邸に潜入。変装させた岡田首相を反乱軍兵士の監視の目をかいくぐって官邸外へと連れ出しました。この間一髪の脱出劇は、当時の閣僚や警察組織の命脈を保つ重大なドラマでした。
もうひとつの決定的な誤解は、「テロリストである青年将校が鎮圧されたため、軍部の暴走は止まった」という誤った認識です。現実はまったくの逆でした。
事件後、非公開・弁護人なしの暗黒裁判(特設軍法会議)によって、青年将校や思想的指導者の北一輝、西田税ら19名に死刑判決が下され、速やかに銃殺刑が執行されました。さらに皇道派の将軍たちも軍中枢から一掃(予備役編入)されます。しかし、この「皇道派の壊滅」によって、対立していた統制派が陸軍の主導権を完全に掌握することになったのです。
統制派は「軍の内部統制を取り戻す」という口実のもと、政治に対する発言力を爆発的に強化。「軍部の意向に従わなければ、再び2.26のような暴発が起きるかもしれない」と政府を公然と恫喝し、軍部大臣現役武官制を復活させました。これにより、軍部は意に沿わない内閣をいつでも合法的に倒閣できる強権を獲得。反乱の鎮圧という皮肉な結末を経て、日本は政党政治の息の根を完全に止められ、日中戦争、そして太平洋戦争へと突き進む軍国主義の独裁体制を完成させてしまったのです。